この地を選んだのには理由があります。当社のものづくりに最も理想的な環境だからです。この村の93%は森林に囲まれた雄大な大自然。ここまで沢山の木々に囲まれている場所は東京には他にありません。これだけの木が育つということは、それだけ木材にとって最適な場所である証拠。東京で最も空気が綺麗で、水が澄んでいる場所と言えるでしょう。
もはや、この場所そのものが、天然のクリーンルームと言えるかも知れません。
本来、木製食器の材料である木地は狂いといわれる現象が生じます。一言で言えば伸縮のことです。ところが、空気が綺麗で乾燥したところで製造をすると、この狂いが少なく、加えて、大気汚染が少ないため埃や粉塵粉などの不純物の付着も最小限に防げ、塗装も綺麗にのるので、長く使用できる食器ができるのです。
空気に味があるのでは?と初めて感じた場所がここです。それぐらい、ここの空気は美
味しい。それまでは東京の港区が本社。東京タワーを眺望する環境でした。
この村の神秘性です。古くからこの檜原村には山の神々が住んでいると言い伝えられる神聖な場所があります。当社製品は子どもの生誕を祝う縁起物としてご贈答される方が多くいらっしゃるので、人間には遠く及ばないその力にもあやかろうと思いました。
今は毎朝、山の神々を敬い、この場所で特別なお子様への成長祈願の想いを込め、職人が手仕事でひとつひとつ食器をこしらえています
檜原村は歴史ロマンの場所でもあります。大和朝廷が東国に送り込んだ渡来人が住み、
源平合戦で敗れた平氏の侍達がこの地へ逃れ、橘高安・為定親王伝説もある場所です。
戦国時代の檜原落城と武田松姫の悲劇の伝説はあまりにも有名です。
産業としては木々が多いため、林業や製材業で栄えました。例えば、徳川幕府が
江戸の城下町を作る時にはかなりの役割を果たしていたそうです。当時、江戸の人口は
100万人。当時の世界を見渡しても、そこまで繁栄していた場所はありません。他方、木造平屋住宅が密集していたため、火事が日常茶飯事。その改修のため、建材である木材の多くは、江戸から近いこの檜原村から切り出されていたという記録が残っているそうです。
当社製品は外国の方にも人気なので、この場所からMADE IN TOKYOを世界に発信したいと思っています。
小鳥のさえずりで目を醒まし、清流のせせらぎを聴きながら昼寝。夜になれば、星空のとばりと蛍の灯りで晩酌ができる。こんな贅沢な場所は東京のどこにもありません。これからも、自然と協調し、生態系を壊さず、未来に続くようなモノづくりをしていきます。
ラボでは、冬は製品の端材を薪にして暖炉で熱をとり、夏は隣に流れる渓流の冷気を吸い上げ、クーラーにしています。
始めてからというもの、頭を悩ます難しい問題に数多く直面しました。しかし、逆境に屈せず、時代に合った事業をカタチにして行く。そんな「徹底的に未来思考」の企業こそ、私たちが目指す企業のカタチなのです。